「36年前の不思議なできごと」・・・川幡 雅宏(1975年入学)

川幡さん
1979年(昭和54年)卒の川幡(カワハタ)です。大学時代は陸上競技一色で、 OBの方、先輩、同僚、そして後輩の皆様に多大のご援助を受けておりながら、 卒業後はOB会費のみを払う不真面目なOBとなっておりした。 一昨年(2011年7月)に32年間働き続けてきた東京海上(現東京海上日動)から DNPヒューマンサービス(大日本印刷の関連会社)に籍を移し、引き続き(というか、 これしか能がない)保険関係の仕事に携わっております。 以前には考えられなかった程度に時間的余裕ができたこともあり、職場が変わったことを契機に、 少しはOB会等にも顔を出すことができるようになりました。お陰で昨秋は久しぶりに 改修前の国立のグラウンドを見ることもできました。

現役時代は、幸運にも怪我も少なく大変充実した陸上競技生活を送らせていただきました。 (それでも大学3年の最終戦、名大戦の三段跳びで、かがとを骨折し一冬治療するという アスリートとして一人前の経験をさせてもらいましたが、今となっては懐かしい貴重な思い出になっております) 100M:10″8、110MH:15″5、走り幅跳び:7m05、加えて 400Mリレー、800Mリレーの学内記録達成 という、高校時代には考えられなかった好記録を残すことが出来、一橋陸上競技部の お陰と今も感謝しております。

今回は、これまで誰にも話をしたことのない36年前に起った、陸上競技を思う一心から 起ったであろう不思議な出来事をお伝えさせていただきたいと思います。

〈陸上競技を始めた頃のこと〉
私は富山県高岡市(人口20万弱の街)の街中で育ったのですが、小さいときから走るのだけは 滅法早く中学に入ったら陸上部に入部し、頑張って記録を出してやろう等と考えていました。 中学入学後すぐに「100Mで頑張りたいので」ということで陸上部の門をくぐったのです。 ここでびっくりするようなことがおこります。先輩と一緒に100Mを走らされた後、複数の 先輩から「確かにお前は早い。でも当校は指導者もおらず100Mは激戦種目だから、 競技者の少ない100MHか走り幅跳びだったら県で優勝が狙えるから専門種目は変えた方が良い」と 何度も説得されたのです。(結果としては中学3年時に、100MHで富山県で優勝したのですが、 私の陸上競技人生において正しい選択だったのかは今も不明)

〈序章〉
時は一気に過ぎ去り大学3年の関東I.C.決勝(1977年5月)にまで話は飛びます。 いつしか陸上競技の中でも走り幅跳びが一番好きな種目になり、「何とか7Mジャンパーになりたい」が 自分の夢になっていました。 大学3年の関東I.C.決勝(当時は立川で予選があり、国立競技場で2日間決勝があった)の日は 不思議な日でした。走り幅跳びの助走を合わせていたところ、中学入学時に走り幅跳びを専門に やるように勧めてくれた先輩が観客席より声をかけてくれました。高校も違いましたので何年振りでしょうか。 慶応競走部で陸上をやっていると。「助走が合うか見ていてやるので安心しろ」とのことでした。

〈思いでの瞬間〉
5跳躍を終わった段階で6M70台の記録、5位。自分にとっては自己新記録で 入賞可能の状況(初入賞)、まずまずの成果で終わるはずでした。 6跳躍目。無欲の状況でした。踏み切りを合わせよう等という細かいことも考えず、 何故か遠くへ飛ぶことの「一点」に集中していたように思います。 追い風はなかったように思いますが、踏み切りはピタッと合ったように思います。

次の瞬間、身体がフワリと浮き(古い写真で恐縮ですが、どう見てもいつものジャンプに比べ 相当高い空間を跳んでいます)、何故か自分の周りから「引力が消え」ゆっくりとシザーズを描いている 自分が見えました。 「このままどこまでいくのだろう」とも感じた気がします。 着地の瞬間、7M10でトップだったライバルの東大・中谷君の「アッ!」と言う驚きの声が 鮮明に聞こえてきたのを覚えています。

起こった全てが、第三者の立場で傍観しているようで、何故か鮮明に見え、聞こえてきた気がします。

〈結果〉
結果は20CM以上自己記録更新の「7M00」の3位。 「7Mジャンパーの仲間入り」の実現でした。4位:6M99、5位:6M98というビックリの結果でした。 翌年の関東I.C.で「7M05」という記録を出すことができましたが、私の陸上競技人生にとっては 大学3年の関東I.C.第6跳目、これが全てだったように思います。

関係者のご努力で大学のグラウンドも晴れて改修の目処が立ち、これからは記録もどんどん塗り変えられて いくことでしょうし期待もしています。 これからはOBとしても熱心に応援もしていきたいと思っています。

陸上競技のことばかり考えていたからこそ出現した出来事、そして今も心の奥底に大事にしまってある 出来事、36年前の思い出を文章に出来ましたこと、心より感謝申し上げ終わりにさせていただきたいと思います。

(2013年2月6日受信)