三大学戦 4×100mR【古希クラス】に出場して
2025年7月12日三大学戦が堺市・金岡公園陸上競技場で行われた。今年のOB 4x100mRは、【35歳以上4人の合計年齢が200歳以上のクラス】4チームと【古希クラス】3チームの2組が参加した。300歳以上のチームは人数確保が難しく、昨年より合計280歳以上のクラスが【古希クラス】となった。
一橋AC古希クラスは、池田→大鳥羽→後藤→美和の312歳で1分24秒83
過去の記録は、
2023年(上柚木)1分24秒81 309歳(池田→橋本→後藤→美和)
2024年(尼崎) 1分24秒55 306歳(池田→橋本→後藤→井田)
メンバーは個々の事情で毎年変わっているが、合計年齢ほぼ同じで記録も見事に年齢順に並び驚く。今年はエントリーの時点(6月初め)では、特に故障者もなく補欠登録は無しで考えていたが橋本善和さん(1966入)が体調不良(整形外科系)で、急遽大鳥羽裕太郎さん(1971入・元長距離)に大阪日帰り出場をお願いし、チームが組めた。なお、古希の他2チームは、神戸大:1分5秒52、大阪公大:1分17秒93で、ともに合計285歳だった。
<メンバー4人の感想>
第一走者 池田隆弘 (1965入・80才)
スタート前のチーム紹介で、選手名プラス年齢がアナウンスされた。これに呼応してスタンドの学生からは名前のコールが起こった。これは暑さ(35度)に滅入っていた気分を大いに高揚させてくれた。スタートもスタンディングスタートが許され、競技役員がこちらの年齢もおもいやり丁寧に教えてくれた。
しかし、身体が頭についてこず、残り30mほどは足が上がらず気持ちばかり焦った。バトンを渡し終えた後は、スタート前のもやもやした気持ちはすっ飛び、ほっとすると同時に爽快な気分になった。この気持ちを忘れず来年も参加したい。
(管理人追記:池田さんはこの前に個人種目100mオープンも走っています)
第二走者 大鳥羽裕太郎 (1971入・73才)
小生、大阪府(枚方市)生まれである。中学生以降の神奈川県民の期間が圧倒的に長いにしても、大阪は他府県とは違う<故郷>としての思い入れがある。大阪公立大主催の今大会で6年先輩の3人の皆さんとタスキ(もとい)バトンをつなげたのは大変光栄且つ印象深いことだった。
現役の皆さんのリレー走者名連呼に感激したことと、バトンを渡した後、女子マネージャー(?)に頂いた氷袋の心地よさが忘れられない。引続き、量は少いが練習は3日以上空けないことを継続し、経年劣化の大波を押し戻したい。
第三走者 後藤哲也 (1965入・80才)
スロージョギング専門の身には100m全力走は要領を得ず、身体各部位の動かし方(下記@〜D)を俄か勉強し練習でも意識、自分なりに走法向上かと。いざバトン受け走り出すと今回も100mは短かく、もがいてる内に終了の感。
@腰位置を高く
A脚引降し速く=滞空時間の短縮
B肩甲骨使った腕振り
C腰の捻り
はレース中も意識した(つもり)。だが
D親指付け根の母指球で着地
はレース中意識が及ばなかったので次回こそは・・・。
「走法の常時意識化」は長距離走でも容易ではなく、瞬時に終わる100m走では尚更ゆえ、来年に備え日常の長距離練習の中に100m全力?走を数本取り入れ、その際に各チェックポイントを常に意識したい。長距離走法との共通点も多く長距離走力向上(正確には低下防止)にも繋がるだろう。
バトンパスは毎月第3(木)AM開催の「国立会」での練習成果で全く不安なくやれた。駅伝の襷渡しも高揚感あり好きだが、バトンパスも私には新鮮でいいものだ。
第四走者 美和新一 (1965入・79歳)
同期の池田君に誘われて2度目の参加。2023年は若めのOBチームと同じレース。バトンを受け取って前方を見ると他のチームは全てゴール済みでホームストレートを独り占めで走るという珍しい体験をした。今年は合計年齢280歳以上のチームが3チーム揃い、バトンを貰った時にあとの2チームも未だ走路上にいた。
学生時代、長距離のラスト100mは自分なりに全力を出し切った実感があったが、100mのタイムトライアルをやると身体が浮いて、足が地面をしっかりとらえられないもどかしさがいつもあった。今回もそのもどかしさと、走れなくなっている友人が多くなっている中、走れる有難みを感じながら、学生時代より8秒遅いタイムでゴール。
右から走順に、池田・大鳥羽・後藤・美和 (写真:若菜忠央 1990入)