「昔と今・アラカルト」・・・・・ 徳島 巌(1964年入学)

徳島さん
− 懐かしのシーン −
卒業して45年経ちましたが、時折合宿やコンパのシーンが思い出されます。今はもうないクラブハウスでの寝泊り、銭湯帰りに模造紙に記入した体重、部歌の練習、コンパでの丼酒などなど、まさに走馬灯のように駆け巡ります。インターバルの後にグランドに横たわり嗅いだ草いきれ、トラック50周2万メートル、検見川、軽井沢での練習、遠くは沖縄での砂糖きび畑の間を走ったことなど尽きることがないくらいです。全くの自己流で競歩の練習をしていた時、短距離の飯島秀雄選手などの指導でグランドに来られていた吉岡隆徳コーチに声をかけられ、基本をもっと学べと指摘をされたことがあります。本格的に習うことはしませんでしたが、インカレ2部3千競歩で国立競技場に出場し、無事ゴールしたことも思い出の一つです。

− 43・44年卒の会 −
 大学には5年もいたことから、年1〜2回行われる43・44年卒の会に出させてもらっています。かつてのマネージャー後藤哲也君の設営と進行で、毎回参加者の近況などを報告しあって、美酒と品の良い料理で愉快なひと時を過ごさせてもらっています。クラブの最近の状況、出場したレースの結果やゴルフの戦績、病気や入院、仕事や退職後に関わっている活動などなどが、ある者は長く、ある者は手短に語られます。2004年には、遠藤恒夫君が駐在していた上海に押しかけたことがあります。名所旧跡見物や料理店などで旅を満喫しました。その後、ベトナムあたりに行こうとの話もありましたが、そのままになっています。

− 入院体験 −
 健康だけが取り柄でしたが、この2月末に大腸ポリープの切除を行うために初めて3泊4日の入院をしました。病室のベッドに横たわり、しばらく過ごしていると気分も「病人」になってしまいます。今回は食事抜きやおかゆなどで普通の病院食を味わう機会がありませんでしたが、出された食器がつい気になってしまいます。学校や高齢者施設、病院などの集団給食用の食器・トレー製造販売の会社に身を置いていたこともあり、裏側のマークを確かめてみたくなるのです。幸いなことに「うち」の食器も使われていて、食の味気なさを補ってくれました。

− 様々な福祉施設訪問 − 徳島さん
 5年ほど前から、特別養護老人ホームや保育園、福祉作業所などの障害者施設を訪れています。東京都の福祉サービス第三者評価に携わり、事業者や職員、利用者から話を聞いたり、書類を見たり、アンケートをまとめて報告しています。病院事務長、保育園園長・職員、高齢者施設長・介護職員など様々な人たちのなかに紛れ込んでチームを作っています。利用者と昼食を一緒にとりながら、話したりもしますが、介護度の重い高齢者が多いと会話もあまりはずまないものの、保育園の年長クラスともなれば我先に話しかけてきて元気をもらえます。職員からは匿名でのアンケートを集めますので、雇用条件の厳しさや不満、時にトップ批判なども指摘されます。仕事にやりがいを持って取り組んでいる職員が大半ですが、その悩みも尽きません。事業者も行政、利用者・家族、職員それぞれの意向を踏まえながら、より良い運営になるように努めています。その中で良いと思われる取り組み、改善が望まれることなどを指摘させてもらって、何か今後の運営に役立つ気付きを得てもらえるようにしています。

− 教会通いの現状 −
 学生時代、陸上部とカトリック研究会(カト研)にも所属していました。勤めていた間は「隠れキリシタン」でしたが、50歳を迎えた頃から教会に復帰するようになりました。ところが今通っている教会は建物が老朽化したことから、閉鎖して近隣の比較的大きな教会と統合することとなりました。会社や事業の統廃合の経験はいくつかありますが、教会ではめったにないことに遭遇しています。長年通い続けた人たちからは閉鎖をしない方法がないのかなど色々な要望も出されましたが、多くの人たちの気持ちもようやく落ち着きを見ることができています。教会も高齢化の波は避けられませんが、比較的元気な女性たちに励まされながら歩んでいる今日この頃です。 

(3月17日受信)