川本信正先輩(昭和6(1931)年卒)


 川本信正先輩(1907-96)のことを書きます。恥ずかしながら筆者は先輩のことは全く存じ上げていませんでした。記事掲載を期に改めてご紹介します。2023年2月25日の東京新聞のホームページより、現在全文を読むことが出来ます。
記事へのリンク
いずれリンクが切れると思いますが貼っておきます。

川本信正先輩には wiki page があります。
Wikipedia pageへのリンク

記事を直接掲載することは出来ないので、抜粋します。
- 取材先は川本先輩の長男峰男さん
- 1936年のIOC総会で1940年の東京オリンピックが決まった。このとき読売新聞の記者であった川本さんが五輪という略称を考え出した。
- 戦後はフリーのスポーツライターや評論家として活躍。
- 日本オリンピック委員会(JOC)委員も務めた。

- 信正さんは「オリンピックは平和運動だ」との信念を持っていた。
- オリンピックは政治の圧力に屈してはだめだと考えていた
- 1980年モスクワ五輪へのボイコットには反対。JOCがボイコット決定後、JOCを辞任
- ロサンゼルス五輪後、強まっていく商業主義に懸念

70年史から川本先輩の記述を2箇所、転載します。
1 尾本会長の巻頭の言葉から
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2 岡先輩(大正14専卒)の創部の経緯のインタビュー内、おそらく第5回神戸高商戦(昭和3-1928年)の4x200m。文中の『昭3卒』は『昭3入』の間違いと思われる。
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