遠方の朋・近くの友

「42年間の会社生活を終えて」・・・・・ 久米 増也(1966年入学)

トルコ
砲丸投げ・円盤投げ・ハンマー投げをやっていた昭和45年卒業の久米です。

今年6月に42年にわたる東京ガスでの会社生活を引退し、まだわずかな期間ではありますがいわゆる「毎日が日曜日」の生活を満喫しています。
この生活が何よりも良いのは、ウィークデーを有効に活用できることです。ウィークデーは、旅行であればツアー費用が 安くすみしかも観光地等がすいているためゆったりと見て回ることが出来、ゴルフであれば直前でも予約が取りやすくしかもすいているために ホール毎に前の組が終えるのを待つことなくゆったりとプレーすることができます。

旅行に関しては、6月に京都と福島に行き、7月末からはトルコに6泊8日のツアーで行ってきました。トルコ旅行は短い期間で しかもバスによる移動時間の多い旅ではありましたが、楽しみにしていたイスタンブールを始めとする各地の名所旧跡の見学 およびカッパドキアでの熱気球体験、ボスポラス海峡のクルーズ等を楽しむことが出来、更には現地ガイドからトルコの 政治情勢・歴史・国民性・暮らしぶり・日本との関係等についていろいろ参考になる話を聞くことができました。

トルコ人が親日的であることは前から知っていましたが、現地ガイドからその歴史的背景を聞くことが出来ましたので紹介させていただきます。 明治23年に明治天皇を表敬訪問した乗員656人のトルコ軍艦が台風で帰途和歌山沖で遭難した時に、地元の人が嵐の中懸命な 救助作業を行って69人を救出し自分たちの非常食まで提供したこと、翌年殉職した将士の慰霊碑が建立され現在も地元と トルコ トルコ大使館の共催で5年毎に慰霊祭が行われていること、「山田寅次郎」という人が中心になって遭難家族に対する義援金の 募金を行いトルコに届けたこと、その「山田寅次郎」が皇帝の要請でトルコに留まって貿易商店を開き日本の商品を広めるとともに トルコ海軍師範学校の日本語教師をする等日本とトルコ間の友好・親善に尽くしたこと、こうしたことがトルコの小学校の 歴史教科書に載っており、トルコ人が親日的であることに大きく影響しているとのことでした。

1985年に勃発したイラン・イラク戦争の時には、日本政府はイランにいた自国民救出用の飛行機の手当てができず216人が 空港に残っていたが、トルコ政府が日本人救出用の飛行機を出してくれたおかげで日本人全員がタイムリミットの 1時間15分前に何とか脱出できた。これもトルコ人が昔日本人にお世話になった恩義を忘れずにいたからとの話を聞き、 目頭が熱くなると同時に国民レベルでの友好関係の重要さを改めて思った次第です。

ゴルフについては、長年にわたり終了後の懇親を楽しみに練習もせずに年間十数回下手なゴルフをやってきたが、 60歳の時に引退後を考えて「津久井湖ゴルフ倶楽部」に入会し、現在は終了後の懇親だけでなくゴルフそのものも楽しんでいます。 最近はプレー回数が年間30数回と以前と比べ大幅に増えており、周りからはさぞかしうまくなったのではと言われるが、 もともと体力はあるが体が硬く不器用であるうえ練習もせず自己流できたため、恥ずかしながら遅々たる進歩となっています。 50歳からスポーツジムに通い始め体力にはいまだに自信があるのですが、それがゴルフのスコアに全く結び付かず、 陸上部時代に体力の割に記録が伸びなかった悩みが今形を変えて出ているような状況です。

(写真1)ギリシャ時代の小アジア最大の都市国家でローマ時代まで栄えた 「エフェソス遺跡」内の図書館遺構で、他にも大劇場、ハドリアヌス神殿等 多くの遺構がある。
(写真2)火山の噴火によって堆積した溶岩や火山灰が浸食されて出来た 「カッパドキア」の奇岩群の一つで、他にも多くの奇岩群がある。

(9月6日受信)