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「私に素晴らしい機会を与えてくれた競歩について」・・・伊坪 道広(1993年入学)

伊坪さん
私は平成5年入学・10年卒で、陸上部在籍中はニッチ種目の競歩に取り組みました。
このHPはOB/OGの方に加えて現役部員の皆さんもご覧いただくと想定して、競歩という種目について書きたいと思います。

1.競歩のルール
 競歩は男子の場合5000mから最長50kmまであり、歩きの定義の中で速さを競います。 歩きの定義は2つあり、@常にどちらかの足が地面に接していること、 A前脚は接地の瞬間から地面と垂直になるまで膝を伸ばすこと です。 この定義を守りながら効率良く歩くと、あのような奇妙なフォームになります。  @に違反すると「ロス・オブ・コンタクト(接地不良)」、 Aに違反すると「ベント・ニー(膝曲り)」という反則になり、 コース上にいる審判員から警告を受けます。警告が3回累積すると失格になってしまいます。

2.競歩を観戦するには
 競歩の試合がテレビで見られるのはおそらく2年に1度だけ、 世界陸上の男子50km競歩(以下、W)の中継のみです。2007年の大阪大会では、 山崎勇喜選手(長谷川体育施設)が周回数を間違えて先導されて失格となり、多少メディアに取り上げられるようになりました。  2011年韓国テグ大会の男子50kmWでは、森岡紘一朗選手(富士通)が 1991年東京大会の今村文男氏(現 富士通コーチ)以来の日本勢6位入賞を果たし、 日本競歩陣の存在感を示しました。世界ではロシア、中国などが強豪ですが、 日本も着実に世界との距離が縮小してきており、近い将来悲願のメダル獲得も夢ではないと思います。

3. 私が競歩を始めたきっかけ
 私は中学・高校では中長距離が専門でしたが、PBは1500mが4’27”(高2)、 5000mが16’49”1(大1)と誇れるものではありませんでした。 そんな私でも頑張れば通用しそうな種目は何かを考え、 「走って今イチ、跳んでも駄目、投げても駄目なら、歩くしかない」と思い、 大学1年の秋から競歩に取り組むことにしました。 伊坪さん

4.大学時代の練習環境
 競歩専門は部内で私1人だけだったので、普段の練習は1人で、 週末は「陸歩クラブ」という競歩のクラブチームの合同練習に参加させてもらいました。 同クラブには当時、裄V哲選手(15kmW・20kmW日本記録保持者)、 田浦多佳子選手(1987年ローマ世界陸上代表)、藤野原稔人選手(当時東洋大、 2003年パリ世界陸上代表)、明石顕選手(当時東大、2005年ヘルシンキ・2007年大阪世界陸上代表)など 世界を目指す錚々たるメンバーがおられました。こうしたプロの方と一緒に練習させてもらい、 白井一夫コーチ(第61・62・65・66回日本選手権優勝)にご指導頂けたことが幸運でした。  また、私の”単独活動”を温かく見守り、応援・サポートいただいた 当時のOB・OG、部員の皆さんに本当に感謝しています。

5.私の戦績
私の主な戦績は下記のとおりです(現在のレベルと比較しながら記します)。
・10000mW PB 48’06”04(大3、関東インカレ2部2位)
 →2011年関東インカレ2部10位相当
・20kmW PB 1゜39’27(大3、元旦競歩、準都留杯受賞記録)
 →2011年日本選手権55位に相当
・全日本インカレ出場(大3、大4、大5…失格)
・日本選手権20kmW出場(大2、大3、大4)

 中長距離のベスト記録から私のランナーとしての実力が分かると思いますが、 私レベルの選手でも大きな舞台を経験することができ、そして準都留杯を頂くことができました。 また余談ですが、就活時の面接や飲み会の話のネタとして競歩はとても有効でした。

6.現役部員の皆さんへの競歩の薦め
 大学時代に競歩を通じて素晴らしい経験をさせてもらいましたが、心残りは、 後輩を育成して競歩パートを創設できなかったことです。 現役部員で興味を抱いた方は是非競歩にトライしてほしいと思います。 現在は私の現役時代より記録のレベルがかなりアップしていますが、 まだ競技人口は多くはなく、努力次第で上に行けるチャンスが十分あります。 また、OB・OGの皆さんにも、世界陸上の競歩のテレビ中継にご注目いただければ幸甚です。

(2012年1月6日受信)
写真は、全日本競歩大会(男子50km競歩)とオリンピック(女子20km競歩)